装身具 - 静寂なる形
価値あるものとは、遠くにあるものなのだろうか。
近くにあるように見える画面の中。
見えない、目の前にあるものの奥。
私たちの目に映る世界は、距離は、どこか歪んでしまっているのではないか。
私たちは目の前にある泉に気がつかない。
身近という死角。卑近の宝。
目をとして耳を澄ますと、足元に、手の中に、宝物は在る。
- 豆
古来より人類の生活において身近な存在である。
豆は薬であり、儀式で用いられ崇拝の対象でもあった。
生命の源である水を与えずとも生まれ備えた美しさを保ったまま、
命のトリガーは死なずに存在し続ける。
種であり果実であるその個体が持つ唯一無二である形・質感・色や模様。
食することができ我々の血と肉となる。
後に実となり花となる未来が閉じ込められた結晶。
y vetにおいて豆は、宝石と同等以上の価値を持つものである。
「信じるものの形」とし身におく装身具。
それは、空蝉へ「新たな価値の角度」を提示するための小さな装置でもある。
今、この世界は便利で保証されたものであふれている。
目まぐるしいスピードで進歩するテクノロジーは素晴らしく、
それらに頼らずには生きられない。
重視されるスピードや丈夫さ。
そういった世界の中で、繊細で危うく儚いものを扱うことは避けられつつある。
しかし、日々の中で例えばお皿を割ってしまうことで扱い方を学んだり、
失敗からの知見から感じ得るそれだけではない、
侘び寂びのあの豊かさや、
限りあることで愛おしくてたまらなくなる感覚を
どんな時代でどんな場所であっても大事にしてほしいと強く思う。
”形ある”限り、触れ方や感じ方が杜撰になる時代はきてほしくない。
こぼれ落ちそうなものに気がついて掬ってほしい。
限りのあるものを身体におくことで
触れ方や愛し方、そして愛され方はきっと無意識に意識する。
そういったものを選ぶのはスリルなことだ。
だが、「儚さ」を身体におくことを通して、
景色やものの「見様」も豊かになり、世界は変わると信じている。
花自身は痛いかもしれないけれど
風で舞い散る花びらが美しかったり
朽ちた花びらは土壌を豊かにするように、
保証されたもので溢れる世界のなかに
儚さや歪みがエッセンスとして少しづつ浸透しより瑞々しい世界へ。
そして、無常の世界での毎日が記念日で特別な日になってほしい、という祈りを込めて。
























